最近、息子が維持を張ったり気に入らないことがあったら噛んだりするのを見たらいろいろ考えが多い。
まだ話せないし言うことも分からないのにどうやって教育すればいいだろうとか悩まれます。

俺は父親になってから父親という立場が分かったようだ。
自分が望もうが望まないが子供を産んでからそうなってしまう役割。習ったことないのに上手くするよう期待されたり、休むこともできない役割。親という名で本当に多くのことをやらなきゃならないし、赤ちゃんだったのにもう赤ちゃんじゃなくなってる。

少しは子供の心が分かってきた分、親の気持ちも少しは分かるような気がする。
子供のせいで挫折を経験したりもする。

3歳から5歳まで子供の人格が決まるという。
親からどうされたかによって子供の器が決まる。

ならば、子供に対して俺はどうすればいいのかと言い聞かせる。

子供を大事にすると子供は他人のことを大事にする


子供の知能がいくら高いとしても内的の動機がなければ大変なお勉強などをやりきれない。

親から十分に愛されなかったら自分の存在に対して不安になりやすいらしい。
小さい子供だったらママの温もりを感じながら眠らせるのが子供を安静させるために必要らしい。養育には量的な時間や質的な時間、両方要るらしい。

遊びは内面の楽しさや想像力、創意力を引き出す。

結婚したら旦那、お嫁という使命ができる。子供を出産したら親になる。結婚は自分がやってきた社会的な役割にあまり影響を与えないが、親になったら話はちがう。
自分の体を通して新しい生命が誕生し、その精神のことまで託される。
だから親は偉大なる使命を与えられたのだ。特に母親たるものは。
不便だから、やってたことができなくなったから、疲れたから、自分の意思でできないからとして、その命の大切さを忘れたりおろそかになったら親も子供も不幸になる。
親になったら自分だけの人生じゃなくなってしまう。

親が人生の価値や基準をどこに置くかによって子供への期待は変わったりする。
だが、親の価値観には生きてきた人生やそれの対した主観的な解釈、解決されてない 情緒が混じってる。もし、子供の成長において親の価値観がぶつかるようなことがあったら親は自分のそういった価値観などがどこからのものだか考える必要がある。

自分の子供をどう育てたいかを考えてみよう。自分が決めた養育目標と現在の生活が一致しているのかも考えてみよう。自分の子供が現在の中、幸せというのがなにか分かってない上に未来に幸せに生きる方法が分かるはずがない。

親が子供を上手く育てたい気持ちは大きいが子供を接していってみたら、自分の意思とは違って子供をネガティブに接している。自分の知ってる通り行動するのではなく体に習慣についてる通りに行動することになる。優しい親になりたいが、とある瞬間自分の親のように怒鳴っている自分の姿に驚いたりもする。
ある時は優しかったのにある時は怒りすぎるから子供は親の気まぐれな反応に混乱することもある。
自分が望まない行動を繰り返すのは無意識に反応するのだから自分の心を素直に覗き見るのも必要らしい。自分の鼓動の根源が分かってからは行動を治すために努力しよう。

親が本気で子供の心を開けて接すれば、どんな技術や方法じゃなくても親の気持ちが子供に伝われ肯定的な変化が起こるらしい。いい親になるのはいかなる時でも遅いというのはないって。

本当の権威は子供において「ママやパパは私より知恵が多いから一緒に相談できる、頼れる、今は大変だけどママパパを信じてたら必ずいい方向になる」という信頼を持たせるのだという。

子供が正しい行動をするよう親から見せてあげよう。

この頃、いろいろ悩んでいることの一つです。